
世間の冷たい偏見の目を背中に、何もかも夢中で宗教にもすがりました。民生委員、親戚、学校の先生等、手あたり次第に相談しました。
心配で胸が痛み、涙ばかりの長い長い期間を送った感じてした。相談していただいた方々のお奨めで津のろう学校を訪ねました。そして、「こちらでお世話になる」ことを決心しました。
学齢になってこの学校の寄宿舎に預けました。一週間は一緒に宿舎で寝泊まりしましたが次の日、父兄は子供たちが学校へ行っている留守の間に帰宅しました。
学校から帰った息子は私を探して駄々をこね、先生の手を引っ張って電車の駅まで行ったそうです。私はそれを聞いて耐えられなくて泣きました。
それでも面会は学校からの連絡があるまで、訪ねることはできません。一ヵ月一度だけです。その間は私も息子も泣きながら頑張り通しました。
学校にも別れた私は仕事を持って働き続けました。辛い苦しいそして悲しみ、語り切れないほどの思い山も、今は何のこだわりもなく人さまに話せるようになりました。
息子は県、市、ろう学校の同窓会など、聴覚障害者や身体障害者のための相談や福祉の仕事のお手伝いもやっており、職場や地域で模範青年として多く表賞もいただきました。
平成四年の十二月には東海テレビから、「ひまわり賞」を記念品とともに受賞しました。
三十余年の人生を振り返って、今の私のよろこびの記録といたします。
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